3.11 東日本大震災

こんにちは!

上原歯科の中谷です。

3月もあっという間に半ばに入りましたね。

 

今日は震災のことについて書かせてもらいたいと思います。

先週3.11は東日本大震災から6年。

 

あの日私は、前職の関係で、

宮城県の仙台市に住んでおり、会社の寮で被災しました。

川沿いの近くに寮があるのですが、

その時私は寮の勝手口の外に出ていました。

川をはさんで、向こう側のファミレスのライトの傘が左右に揺れている様子が見え、

「?」と思っていると同時に地響きのような音が地面から聞こえ、激しい揺れが襲ってきました。

 

柱につかまっていることが精いっぱいで、叫ぶことも動くこともできず、

勝手口の中からは食器が割れる音、寮の人たちの叫び声、

それよりも大きいのではないかと感じる建物や地響きの音で、震えが止まらず、恐怖しかありませんでした。

 

揺れがおさまっても、全てのライフラインが止まり、何がどうなっているのか分からず、

とりあえず全員が無事だったことをだけで安心したのを覚えています。

 

私がいたところは津波の被害はなく、建物の損壊もあまりなかったのですが、

数日後に見た津波の写真が載った新聞を見て、涙が止まりませんでした。

 

食料の買い出しに行っても、買えるものは1人3点まで、ガソリンを入れに行っても何ℓと制限され、

今日の配分が終わればお店は閉じ、いつ復旧するのかも分からず、一日一食だけという日が何日か続きました。

 

日数が経ち、ライフラインが復旧し始め、水が飲めること、電気がつくこと、お風呂に入れること、

温かいご飯が食べれること、今まで普通にしていたことが、こんなにもありがたいことなんだと心の底から感じました。

 

数えきれない余震の怖さと隣り合わせの中、周りに住んでいる方たちと、

水や食料を分け合い、励まし合い、毎日必死で生き抜いたことは忘れられません。

身近な人の大切な人や会社のお客様が亡くなられたことを知り、本当に辛い時期もありました。

 

小学生のときには阪神淡路大震災も経験し、大人になり二度目の震災。

大阪に戻ってきてからも仙台に行き、同じ経験をした人たちと震災のあとの修復作業を通して、

日々いろいろなことがあってもそれを感じれるのは生きているからなんだとすごく感じます。

同じ被災地にいて、どうして自分は生き残ったのか、本当に自分は1人で生きているのではなく、

周りの方々のおかげで今、生かされていることに感謝し、それを周りの人や次の世代に伝えていくことを学ぶ為だったのではないかと。

 

自分のできることは本当に些細ですが、無力ではないと思い、

これからも過ごしていきたいと思います。